ロバート・フリードランド
スティーブ・ジョブズに強い影響を与えた人物
この人物はかなり面白いです。ジョブズに「デザイン」を教えた人ではありません。むしろ、後のジョブズを特徴づける人を巻き込み、現実そのものを自分の意志の方向へ曲げてしまうようなカリスマ性に影響を与えた人物です。ウォルター・アイザックソンの『Steve Jobs』では、ジョブズが数年間フリードランドをほとんど「グル」のように見ていたことが描かれています。
1. ホロコースト生存者の家庭に生まれる
ロバート・フリードランドは1950年、アメリカ・シカゴ生まれ。移民家庭の3人兄弟の長男でした。
父アルバートはアウシュヴィッツで3年間を生き延び、母イローナも第二次世界大戦中に強制労働を経験しています。戦後、父親はシカゴで建築家として成功しました。つまりフリードランドは、単なる裕福なアメリカ人家庭というより、**「一度すべてを失った家族が、ゼロから再構築した家庭」**で育った人物です。
この家庭環境から直接彼の性格を説明することはできませんが、後のフリードランドには一貫して「普通の安全圏に収まらない」「巨大なリスクを取る」「自分の物語を信じ切る」という特徴が現れます。
そしてこの部分が、後のジョブズとも奇妙に重なります。
2. 19歳で人生が一度崩壊する
最初に入学したのは、メイン州の名門リベラルアーツ校ボウディン大学でした。
ところが1970年、19歳のときにフリードランドは大事件を起こします。
連邦当局によって、約24,000錠のLSDに関係する事件で逮捕されます。当時の評価額で約10万〜12万5000ドル規模。ニューイングランドでも極めて大きなLSD摘発事件でした。大学を去り、最終的に連邦刑務所で2年の刑を受けます。1972年に仮釈放されました。
ここが彼の異常なところです。
普通なら、この事件で人生の社会的信用をほぼ失います。
ところが刑務所から出てきたフリードランドは、そのままオレゴン州ポートランドのリード大学へ行く。そしてほどなく学生自治会長選挙に出て、当選してしまう。
犯罪歴を隠して静かに暮らすのではなく、
「自分は不当な扱いを受けた」
という自分自身の物語を前面に出し、人々を説得してリーダーになる。
この能力こそ、後にジョブズが吸収するものです。
事実に自分を合わせるのではなく、自分の確信に周囲の認識を合わせてしまう。
フリードランドはそれを、Appleが存在する以前からやっていました。
3. 刑務所から出た青年が、東洋思想へ向かう
当時のアメリカでは、1960年代のカウンターカルチャーの影響が強く残っていました。
フリードランドはラム・ダスの『Be Here Now』などの東洋思想に傾倒します。
1973年にはインドへ渡り、ラム・ダスの師であるヒンドゥー教の聖者**ニーム・カロリ・ババ(Neem Karoli Baba)**を訪ねました。
帰国するとインド風の服を着て、精神世界や「悟り」について強烈な確信をもって語る青年になっていました。
ここに、17〜18歳だったスティーブ・ジョブズが現れます。
4. ジョブズとの奇妙な出会い
2人の出会い方からして普通ではありません。
お金に困っていたジョブズが、自分のIBM Selectricタイプライターを売ろうとして、買い手の学生の部屋を訪れます。
その学生がフリードランドでした。
ジョブズが部屋を訪ねると、フリードランドは恋人と性行為の最中だった。ジョブズが帰ろうとすると、フリードランドは「座って待っていろ」という態度を取った。ジョブズは後に、この状況を「かなりぶっ飛んでいる」と感じたことを回想しています。アイザックソンは、ここからフリードランドを**「ジョブズを魅了することができた数少ない人物」**として描いています。
ここは重要です。
逸話そのもの以上に重要なのは、ジョブズがそこに何を感じたかです。
普通なら、
「なんだこいつは」
で終わります。
しかしジョブズは逆に、
「この男は普通の人間が従っている社会的ルールに支配されていない」
と感じたのではないか。
これは後年のジョブズそのものです。
服装。
会議。
礼儀。
納期。
製造上の常識。
市場調査。
上司と部下の関係。
ジョブズは何度も、
「なぜそのルールに従わなければならない?」
と問い続けます。
フリードランドとの最初の遭遇は、若いジョブズにとって**「自分よりさらに常識を無視する人間」**との出会いだったわけです。
後のジョブズは、ほとんど誰にも圧倒されません。
しかし若いジョブズには、
「この男には自分にない何かがある」
と思わせた人物がいた。
その一人がフリードランドだったわけです。
5. 当時のジョブズは、まだ「ジョブズ」ではなかった
後の基調講演のジョブズを知っていると意外ですが、リード大学に来たばかりのジョブズは、かなり内向的で、人前に出て場を支配するタイプではなかったとダニエル・コトキは回想しています。
フリードランドはその正反対。
部屋に入ってくるだけで人々が彼を見る。
話し始めると中心になる。
人に「自分ならできる」と信じさせる。
大きな話をする。
相手の目をじっと見る。
沈黙を恐れない。
確信をもって話す。
そして相手の現実認識そのものを書き換えてしまう。
コトキによれば、ジョブズはフリードランドと付き合ううちに、セールス、自己表現、場を掌握することを学び、以前より外向的になっていったといいます。
これはApple史を考えると相当重要です。
ウォズニアックには技術がありました。
しかし、
「このコンピュータは世界を変える」
という物語を人に信じさせる能力を持ったのはジョブズです。
その原型の一部がフリードランドだった可能性が高い。
フリードランドはジョブズに「思想を教えた人」というより、ジョブズが“カリスマとは何か”を初めて間近で観察した人物だったことが見えてきます。
ジョブズの強さも、
「客観的な現在」
ではなく、
「これから起こる未来」を相手に見せる能力
でした。
Apple Iはまだガレージの製品なのに、
「コンピュータは個人のものになる」。
Macintoshが未完成なのに、
「これは世界を変える」。
Appleが瀕死なのに、
「Appleは復活できる」。
iPhoneが存在していないのに、
「電話を再発明する」。
フリードランドはそれを、商品ではなく自分自身に対してやっていた人物だったとも考えられます。
6. 「Reality Distortion Field」の原型
Appleでは後年、ジョブズの特殊な説得力を
Reality Distortion Field
現実歪曲空間
と呼ぶようになります。
無理な納期でも、
「できる」
と言い切る。
技術者が、
「それは不可能です」
と言っても、
「できるはずだ」
と言い続ける。
すると、本当にできてしまう。
この名称自体は1981年ごろAppleで使われ始めたものですが、大学時代からの友人ダニエル・コトキは、後から振り返って、
フリードランドがジョブズにReality Distortion Fieldを教えた
と表現しています。
もちろん、魔法ではありません。
心理的には、
確信、誇張、カリスマ、説得、プレッシャー、楽観主義、沈黙、視線、物語化
などが混ざったものです。
しかし一番重要なのは、
「現実とは固定されたものではなく、自分の意志によって動かすことができる」
という態度です。
ここはフリードランドとジョブズに非常によく共通しています。
7. フリードランドは、ジョブズの「意識」の世界も広げた
ジョブズはもともと禅、瞑想、LSD、菜食主義、東洋思想などに興味を持っていました。
そこへフリードランドが現れた。
彼は単に本を読んでいるだけではなく、
インドへ行き、
師を訪ね、
服装まで変え、
「悟りは本当に存在する」と確信していた。
その本気度がジョブズに刺さったのでしょう。
フリードランドが1973年に先にインドへ行き、帰国後ジョブズに強く勧め、1974年にジョブズがダニエル・コトキとインドへ向かっています。
帰国すると、
インド風の衣服、
サンダル、
精神世界、
悟り、
東洋思想
をまとった、かなり強烈な人物になっていました。
そしてジョブズは、キャンパス外にあったフリードランドの部屋を午後になると何度も訪れています。
ジョブズが魅了されたのは、知識量ではありませんでした。
フリードランドが、
「悟りという状態は本当に存在する。そして人間はそこへ行ける」
と本気で信じていることでした。
ジョブズ自身、フリードランドについて、
自分を「別のレベルの意識」へ向けた人物
という趣旨の回想をしています。
その後ジョブズ自身もインドへ向かいます。
ジョブズは「詳しい人」より、
信じ切っている人
に反応する傾向があります。
フリードランドは説明していたのではない。
体現していた。
ジョブズにとってこれはかなり大きかったのでしょう。
だからフリードランドは、ジョブズに思想を「教えた」というより、
思想を本当に生きている人間の姿を見せた
と考えた方が近いと思います。
8. All One Farmという謎のコミューン
フリードランドには、スイス人の裕福な叔父マルセル・ミュラーがいました。
その叔父が所有していた、ポートランドから南西へ約40マイルのところにある約220エーカーのリンゴ農園をフリードランドが管理することになります。
彼はそこを
All One Farm
というコミューンにしました。
東洋思想、自然食、瞑想、ヒッピー文化などに惹かれた若者たちが集まる。
ジョブズも頻繁にここへ行きました。
そしてリンゴの木を剪定する作業チームをまとめていたともされています。
リード大学も、ジョブズがこの農園でリンゴの木を世話していた経験が、のちの「Apple」という社名につながったと紹介しています。
ただし、
「フリードランドがAppleという名前を考えた」
という意味ではありません。
ジョブズがリンゴ農園から帰ってきた時期にAppleという名前を提案した、というのがより慎重な言い方です。
それでも面白い。
Appleのブランド名の背景にまで、フリードランドの世界がかすかに存在しているわけです。
師弟関係のように語られますが、一方通行ではありません。
フリードランド自身もジョブズを「異常な青年」として見ていました。
彼が後に印象として語ったのが、
ジョブズの異常なまでの「intensity=強度」
です。
何かに興味を持つと、それを合理的な範囲を超えるところまで突き詰める。
食事なら果物だけ。
断食なら何日も。
禅なら徹底的に。
電子機器なら徹底的に。
デザインならネジの見えない部分まで。
若い頃から既にこれがあった。
フリードランドはそれを「何に興味を持っても、非合理的なほど極端まで持っていく」と見ていました。
つまり、
カリスマ性はフリードランドから吸収した可能性があるが、「狂気じみた集中力」は最初からジョブズの中にあった。
9. しかしジョブズは、やがて師を見抜く
ここからさらに面白くなります。
All One Farmは最初、
反物質主義、
共同生活、
精神性、
自然
を掲げる場所でした。
ところがフリードランドは次第に、そこで暮らしている人々に薪や薪ストーブ、リンゴ加工品などを作らせ、商売を拡大していきます。
ジョブズは違和感を持ち始めます。
精神世界を語っているのに、
結局ロバートのためにみんなが働いているじゃないか。
コミューンのメンバーも次々離れていったといいます。
ジョブズにとってこれは重要な経験だったはずです。
自分が尊敬したカリスマが、
「理想を語って人を動かす人物」
なのか、
「理想を利用して人を動かす人物」
なのか。
その境界線を目の前で見たからです。
10. 「師」と「詐欺師」は紙一重だった
ジョブズは最終的に、フリードランドへの評価をかなり厳しく変えました。
若い頃はグルのように扱っていた。
しかし後年は、
カリスマと詐欺師の境界を越えてしまった
という趣旨でフリードランドを批判しています。
これは非常に象徴的です。
なぜならジョブズ自身も、生涯、
「天才的カリスマ」
と
「独裁的で人を操る人物」
の境界線を歩き続けたからです。
ダニエル・コトキは、ジョブズがフリードランドから距離を置いた理由について、ジョブズがフリードランドの中に自分自身を見すぎたのかもしれないと示唆しています。
私はここが2人の関係で最も興味深い部分だと思います。
二人とも、
強烈な意志。
極端な確信。
カリスマ。
相手を説得する力。
現実を自分側へ引っ張る力。
傲慢さ。
人を働かせる能力。
を持っていた。
ジョブズが嫌ったのは、
自分とは正反対の人間
ではない。
むしろ、
自分と似すぎていて、その能力を間違った方向に使っているように見える人間
だったのかもしれません。
11. そしてフリードランドは、本当に「金鉱掘り」になる
その後の人生がさらに映画的です。
フリードランドは大学で政治学を学び、1974年にリード大学を卒業。
やがて鉱山ビジネスに入ります。
しかも1978年には、ジョブズと共同で取得したオレゴン州の土地にあった古い金鉱を懐中電灯で調べた経験が、鉱業への興味を強めるきっかけになったとカナダ鉱業殿堂は記しています。
Apple IIがすでに成功へ向かっている時期に、ジョブズとフリードランドは正式な投資パートナーシップ契約を結んでいます。
事業目的には不動産投資などが記され、オレゴン州の約170エーカーの土地が関係していました。ジョブズとフリードランド双方の署名入り契約書も現存しています。
さらにその土地には、使われなくなったWarner金鉱がありました。
フリードランドは懐中電灯を持って坑道へ入り、鉱石を調べます。
結局見つかったのは金ではなく黄鉄鉱、いわゆる「愚者の金」でした。
しかしこの経験が、
フリードランドが鉱山ビジネスへ進むきっかけの一つになりました。
1980年代以降、フリードランドは鉱物資源の探査会社を次々立ち上げ、投資家から巨大な資金を集める人物になります。
ここでも大学時代と同じ能力が使われています。
「この土地には巨大な可能性がある」
という未来を語り、
まだ何も存在していない段階で、
他人にそれを信じさせる。
精神世界 → リンゴ農園 → ジョブズ → 金鉱
という異常な人生です。
12. 最大級の成功――Voisey’s Bay
1990年代、Diamond Fields Resourcesという会社に関わります。
カナダのラブラドール地方で、巨大なニッケル鉱床Voisey’s Bayが発見される。
フリードランドはその価値を徹底的に売り込み、大手鉱山会社同士の競争を作り出します。
1996年、Incoが43億カナダドル規模で権益を取得する大型取引になりました。
まさにフリードランドの本領です。
彼は必ずしも「鉱石を掘る技術者」ではありません。
彼の天才性は、
価値を発見し、その価値がまだ他人に見えていない段階で巨大な物語にし、資本を集めること。
この点ではジョブズと非常に似ています。
13. しかし大きな負の歴史もある
一方でフリードランドの鉱山人生には重大な問題もあります。
特に有名なのがコロラド州のSummitville Mineです。
彼が経営に関与した企業の金鉱事業が破綻し、鉱山からの汚染水などが大きな環境問題になり、EPAのスーパーファンド案件となりました。
米政府・コロラド州はフリードランドを訴え、最終的に約2,000万ドル規模の和解金を支払っています。EPA資料でも2001年の和解が確認できます。
ここが、ジョブズが晩年フリードランドを厳しく評価した背景の一つです。
若い頃、
「物質主義を超えよう」
と語っていた精神的指導者が、
数十年後には巨大な金・銅鉱山ビジネスの世界にいる。
アイザックソンに対してジョブズは、この皮肉をかなり強烈に指摘しています。
伝記を書いていたウォルター・アイザックソンがニューヨークでフリードランドと会い、そのことをジョブズへメールします。
するとジョブズは1時間もしないうちに電話してきた。
そして、
「彼の話を信用するな」
という趣旨でアイザックソンに警告したといいます。
フリードランドが鉱山の環境問題を抱えていたころ、自分を通じてビル・クリントンへ働きかけてもらおうと連絡してきたが、無視したとも語っています。
若い頃、
「悟りは存在する」
と語っていた男。
数十年後、
世界的な金・銅鉱山ビジネスの大物になる。
ジョブズはこの変化を強烈な皮肉として捉えました。
精神世界を教えてくれた人間が、文字どおり“金を掘る人”になっていた。
ここには尊敬が失望へ変わった強さが出ています。
14. それでもビジネスマンとしては超一流だった
フリードランドはその後もIvanhoe Minesなどを築き、モンゴルのOyu Tolgoi銅・金鉱床、アフリカの巨大鉱床開発などに関与します。
現在もIvanhoe Minesの創業者・Executive Co-Chairmanとして位置づけられ、鉱業界では非常に強力な資金調達者、企業家、プロモーターとして評価されています。
つまり彼は、
19歳でLSD事件により刑務所
→ リード大学学生会長
→ インドの精神世界
→ ヒッピーコミューン
→ スティーブ・ジョブズの師
→ 鉱山投資家
→ 環境問題
→ 億万長者
という、ほとんど小説のような人生を送っています。
ジョブズがフリードランドから受け取ったもの
ジョブズへの影響を一言でまとめるなら、私は**「自分の確信を、他人も信じる現実へ変える方法」**だと思います。
ジョブズを作った人は一人ではありません。
ウォズニアックから技術、リード大学のカリグラフィーから美、禅から単純さ、エドウィン・ランドから「技術と人文科学の融合」、ボブ・ディランから反骨精神――そしてフリードランドからは、カリスマと現実を動かす力を吸収した、と見るとかなり整理しやすいです。
そして興味深いのは、ジョブズがフリードランドを完全にコピーしなかったことです。
影響を受ける → 模倣する → 違和感を持つ → 離れる → 必要な部分だけ自分のものにする。
若いジョブズはフリードランドに「本気で信じれば人間は周囲を動かせる」という可能性を見た。しかし同時に、「カリスマが目的を失えば、人を操るだけになる」という危険性まで見た。
だからフリードランドは、ジョブズにとって単なる恩師というより、**「未来の自分の光と影を先に見せた人物」**と考えると、かなり本質に近いと思います。


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